フィリップス君との付き合いが10年になったので、振り返ってみようと思う。
フィリップス君はオランダ生まれ。 とはいえ、距離を感じたことはあまりなく。
よくすれ違う隣人のような、わりと身近な存在だった。
出会いは10年前にさかのぼる。
当時はブラウンさんとタッグを組んでいた。
それなりの付き合い方だったと思う。 特に悪いところもなくお互い普通だったと記憶している。
ただ、少しずつ「ズレ」を感じていた。
彼はドイツ生まれ。まさに質実剛健な職人のようだった。 彼の仕事は常に完ぺきだった。
完璧な仕事をするための道具にもこだわり、定期的なメンテナンスを欠かさなかった。 コストはかかるが、良い仕事という形で結果を出し続けていた。
付き合い始めてからしばらくは特にどうってことなかったけれど。だんだん付き合いを深めていくうちに。
彼の完璧な仕事に対して、ちょっと「違和感」を覚えるようになってきた。
彼の仕事は完璧だ。 けちの付け所なんてない。
しかし。 その完璧さは絶対的に必要なのか? こう、疑問を抱いてしまったのだ。
これは僕の問題だ。
僕はアトピー性皮膚炎だ。肌が弱い。
そして、彼の完璧な仕事とはまいにち向き合っていると、肌にある変化が表れ始めてしまった。
肌が、粉を吹き始めたのだ。
悲しいかな。 だんだんと、かれの完璧な仕事ぶりについていけなくなってしまったのだ。
これが老化なのか、他の要因なのかはわからない。
しかし、吹いた粉が。僕に。彼の完璧な仕事と釣り合わなくなってしまった事実を突き付けてくる。
彼は妥協を知らない。 彼は衰えをしらない。
そうであるなら、適切な「距離」を調整するのは僕の役目だ。
彼を加害者にすることはあってはならなない。
だが、コンビを組む相手がいないと困る。 1週間もフリーで居ようものなら社会的な制裁を喰らいかねない。
途方に暮れていた時。 声をかけてくれたのがフィリップス君だ。
彼のことを全く知らなかったわけではない。
彼のうわさは聞いていた。 仕事の実力はブラウンさんとそん色ないくらいデキる。
ただ、非常に癖がある。と。
ブラウンさんの厳格な、完璧な仕事に慣れ切った僕としては大丈夫かと不安を覚えた。これは紛れもない事実だ。
ただ、切羽詰まっていることも事実だし、声をかけてくれたことは素直にうれしい。
ちょっと心配だけど、試しに一度 組んでみるか。
ここから10年続くのだから、人生というものはわからない。
フィリップス君には申し訳ないが、どうしてもブラウンさんと比べてしまう。
確かに、フィリップス君の仕事はムラがある。 独特だ。
こちらに慣れを要求してくるなんて!と思ったし、慣れを要求してきたくせに出来栄えがブラウンさんよりも悪いじゃないか!と思ったこともある。
ただ……
慣れてくると180度はなしが変わってくる。
彼の仕事の「クセ」だと思っていたことが「柔軟さ」であると気づくのだ。
ブラウンさんの仕事は確かに完璧だった。 ブラウンさんの仕事はスキがなかった。
ただ。 ブラウンさんの仕事の完璧さは過剰であったのではないかと思うのだ。
ブラウンさんの仕事は100%の結果を出すために、周辺地域含めてすべて更地にしてしまうようなパワーがあった。
若かった頃の僕はこの徹底的なやり方に感動した。 しかし、これはブラウンさんの仕事と向き合えるだけの、若さというパワーが僕にもあったからできたことだといま理解できた。
だから、だんだんついていけなくなって、脱落してしまったのだ。
それと比較すると、フィリップス君の仕事は必要十分だ。 目的を達成するために周辺地域を更地にする労力は無駄だろう? って考え方だ。
だから力のコントロールが、慣れが大切になってくる。 余分な力を使わないから精密な調整が必要になるわけだ。
力のブラウンさん、技のフィリップス君。
加齢とともにブラウンさんの力についていけなくなってしまった。 しかし、加齢(経験)のおかげで、フィリップス君の技が理解できるようになったのだ。
フィリップス君は必要十分、最小限の仕事をする。するとどうなるか。 道具の痛みが緩やかなのだ。
事実、フィリップス君と一緒にやるようになってもう10年経つが、いまだに道具の交換をしていない。
これは好みの話だ。 ケーキとカレー、どちらが宇宙イチおいしいか?なんて問いに答えが無いのと同じことだ。
答えはその人の中にある。 答えはその人の中にしかない。
僕の場合、肌の粉が答えを教えてくれるんだ。