「舶来品」という響きにとらわれていた時期があった。
同じようなものなら、国産よりも舶来品を選びたくなってしまう。
特にヨーロッパものには盲目的になっていたように思う。
所有欲が満たされた。 満足していた。
実際、モノも良かった。
例えばスキンケアクリームだ。
きれいな白色で、伸びが良く、良いにおいがした。
手指も十分に潤った。 値段が手ごろなのも良かった。
経済の話になるが、工業製品はスケールメリットが効く。 世界中で売れているものはたくさん作るので1個あたりの値段が安くなる。
こういう話になると、とある漫画作品のワンシーンが思い浮かぶ。
「このハンバーガーとコーラは世界で一番売れている。だから世界一うまいものに決まっているだろ」
というものだ。かの有名らしいハンバーガーコーラ理論。 初めて聞くが、内容は理解できる。
良いものだから売れている=売れているものは良いものだ
この論理だろう。
そこに何の疑いなく。 なんの問題もなく。 20年使い続けた。
しかし20年である。 20年。人は変わる。人は老いる。
あるとき。遂に決定的なことが起きた。
クリームを塗っても潤わなくなってきたのだ。
以前は肌が潤う感覚があった。これは間違いのないことだ。
しかし今は違う。手指に潤いが浸透していく実感が失われてしまった。
あくまで個人の感想だが、手指に油の膜を作り、かろうじて乾燥を防いでいるような感覚になってしまったのだ。
塗っても、すり込んでも、浸透している感覚がなくなってしまったのだ。
わたしはアトピー肌だ。 生まれてから死ぬまでアトピーと向き合っていく。
振り返ってみると、ドイツのクリームがアトピーを悪化させたことはない。
しかし、20年間でアトピーの問題が解決しなかったのは事実だ。
これは見直す時期が来た、という事ではないか。
そう思ったので、様々なクリームを試してみた。
20年の信頼感は別格だ。他を試してだめなら戻ればよい。安心感があったので、冒険に集中できた。
ヨーロッパものを中心に試した。
なぜヨーロッパものからいったのか。好きだからだ。 スーツも、シャツも、ネクタイも、靴も、ヨーロッパモノが好きだからだ。
ヨーロッパものに囲まれていたいのだ。
だがしかし。結果としてしっくりくるものはなかった。
高いもの、リーズナブルなもの。いろいろ試したが、20年の積み上げを乗り越えてくるほどのものはなかった。
冒険はした。結果は振るわなかった。20年来の付き合いがある。
これはこのままで良いという事なのだろう……
そう思いかけた。だが。本当にこのままでよいのか? アトピーとは一生涯むきあっていかなければならないのだ。
20年の信頼を背に、未来へ向かって進む足を止めるべきではない。
そう思い、ヨーロッパ以外のもの。アジア、日本のものに挑戦してみることにした。
まず手に取ったのは日本のもの。 それでいて伝統のあるものから試してみました。
使ってみて思ったことは「あう」という事。
失われたはずの、浸透している感覚がそこにありました。
そうでした。わたしは日本人でした。
日本人向けに作られたものが合う確率は高い。考えればわかることでした。盲点でした。
ドイツのクリームも日本人向けの調整がされていたと思いますが、大前提としてドイツ人の悩みを解決するために開発されたと思われるクリームです。
ですがこれは違います。 日本人の悩みを解決するために開発されたクリームです。
日本とドイツでは気候が違います。
日本人とドイツ人では性質が違います。
ああ、どうしてこれに気づかなかったのでしょう。
ヨーロッパの衣服を身にまとい、英国紳士になった気持ちでしたが、中身は普通の日本人でした。
受け入れがたい現実ですが、事実と向き合ってこそ良い未来に進んでいけます。
実際、肌に潤いが浸透するというのはとんでもないことです。
肌が潤うことでアトピーが治るわけではありません。
しかし、肌は確実に強くなります。
肌が強靭になるという事ではなく、潤うことで肌に柔軟性が戻るのです。
経験上、アトピー肌の改善には防御力が必要です。
掻かずにはいられませんから、掻かれることを前提に守りを固める必要があるのです。
この守りには大きく2つの方向感がある。
受けるか、いなすか。
硬い盾を用意して「受ける意」のは、取り組みやすく効果の実感がしやすい対策ですが、相手は絡め手が得意なアトピー。 スキをつかれてやられてしまいます。
そうです。 「受ける」のではなく「いなす」のです。
柔道とか、合気道などの考え方と同じです。 柔軟性を持ち、相手の力をいなしてしまう。
潤いが「いなし」の力を高めてくれるのです。
憧れたのは騎士道でしたが、合っていたのは武士道でした。
流派は違えど心の向く先は同じ。 今日も欠かさず鍛錬を積み上げて参る所存。