ぼくは3人兄弟です。 兄弟のなかでぼくだけがアトピーでした。
いまは「ぼくだけがアトピーで良かった」と思っていますが、子供の頃は全く逆で「どうしてぼくだけがアトピーなんだ!」とやるせなさで潰れかけた時期がありました。
両親が喫煙者でこれを恨んだ時期もありました。
「周囲の理解」をテーマに当時の気持ちを思い出し、まとめていきます。
- 悪い意味でじぶんだけが特別だった
- 誰もじぶんの苦しみを理解できないとひねくれた
- 親の喫煙を恨んだ時期があった
- 大人になって気持ちの整理が付いたとき気づいたこと
- とある方のコメントがこの記事を書くきっかけになりました
悪い意味でじぶんだけが特別だった
ぼくは生まれたときからアトピーでした。
両親も祖父母もアトピーではありません。
3人兄弟の長男。2歳ずつ年の離れた兄弟です。下2人はアトピーではありません。
親族兄弟、ぼくだけがアトピーでした。
周囲にアトピーは居なかったように思います。 小学生の時に一人いましたがあまり親しくありませんでした。 アトピートークをした記憶もありません。
ぼくだけがかゆみで苦しんでいる。
ぼくだけがアトピーの粉で家を汚している。
ぼくだけがアトピーの汁でふとんを汚している。
こう感じ続けていました。
今なら周期の気持ちが理解できます。
アトピーで苦しんでいる人に何をしたらよいのかわからない。
できることは思いつく限りやっている。(事実、マメに病院連れて行ったり海水浴連れて行ったりしてくれました)
でも、ぼくはアトピーに関して強い孤独を感じ続けていました。
誰もぼくの苦しみを理解できないと。 今思うと悲劇のヒロインです。
でも、これは自衛だったのだと思います。
こう思わないと理不尽に耐えられなかったのです。
誰もじぶんの苦しみを理解できないとひねくれた
アトピー以外の人がアトピーをなぐさめるのは相当難しいと思っています。
こう思う原体験があります。
シンプルに「何も悪いことをしていないのに辛く、苦しい」ことが受け入れられません。
飲酒をしたわけでもありません。
喫煙をしたわけでもありません。
イタズラをしたわけでもありません。
物心ついたときからアトピーで苦しい。 アトピーになった原因がわからない。 アトピーが治るかどうかも分からない。
後悔すらできないのですよ。
やってはいけないことをしたわけではありませんから、後悔のしようが無いのです。
生まれつきのアトピーには「あのときこうしていれば!」すら無いのです。
「そういうものだ」と受け入れ、向き合っていくしか無いのですがこう思うには成長したメンタルが必要なのです。
生まれつきのアトピーにかける言葉は本当に難しいと思います。
以前かゆみについて書いたことがありますが、アトピーのかゆみは次元が違います。 人生でアトピー以上のかゆみを感じたことはありません。
虫刺されで強烈にかゆくなる経験は誰もがあると思いますが、それと比較しても次元が違います。アトピーのかゆみは本当に、がまんなどできないのです。
「掻くのを我慢しなさい」「我慢しないと治りませんよ」
こう言われるのが苦痛で仕方ありませんでした。
結局がまんなどできませんから掻いてしまう。掻いてしまうと怒られるわけです。
いや、怒ってなどなかったのかもしれません。 でも掻いた側も「やってしまった」後悔がありますから「怒られている」ように感じるのです。
他の先天的なハンデを持ち出してアトピーはまだマシと言われることもありました。
正直まったく響きませんでした。 確かに生まれつきの病としては軽いほうという見方もあるでしょう。言っても五体満足ですから。
でも、そのカテゴリと比較されるような病気なんだ!という事が辛いのです。 醜い、汚い心だといわれても仕方がありませんが、「普通じゃない」ことを指摘され、受け入れるほど心が育っていないのです。(周囲は「普通」なので「どうして自分だけ」がより強調されてしまうのです)
当時の周囲の立場に立てば「こうせざるを得ない」のは理解できます。 下手に共感されてもすぐに見抜いたことでしょう。
とはいえ腫物扱いもいけないと思います。 腫物扱いされていたらより孤独を感じていたと思います。
本当に距離感が難しい。 じぶんでもそう思います。 おそらく「時間」が必要なことなんだと思います。
親の喫煙を恨んだ時期があった
親の飲酒・喫煙を恨んだ時期もありました。
じぶんがアトピーで生まれたのはこれが原因だと。
幸い、ぼくはこの件で親とやりあったことは無く、正解だったと思っています。
本当に飲酒喫煙が原因かどうかはわかりませんし、やりあったところでじぶんのアトピーが治るわけではありませんからね。
今では逆に感謝しています。
ぼくが酒も煙草もやらない理由になっていますから。
全く恨んでいませんが、ひどく思い悩み苦しんだことは確かですから、もしタイムマシンがあったなら注意しに行くとは思います。
大人になって気持ちの整理が付いたとき気づいたこと
理不尽に耐えきれず、感情が制御しきれずに周囲に当たり散らしたことがありました。
今なら「兄弟全員アトピーのほうが地獄」だと思いますが、当時は「どうして自分だけ」という考え方ですからね。
当時の振る舞いを思い出すと顔から火が出る思いです。(本当に申し訳ないと思っています)
お医者さんから言われた「大人になったらアトピーが治る」は嘘だと思っていました。
今でもアトピーありますからそういう意味で嘘なのでしょうが、今ではこの言葉に別の意味を見出しています。
「大人になったらアトピーと向き合える」という意味なのではないかと思うのです。 子供に「向き合う」なんて言っても理解できませんから「治る」というのでしょうと。
事実としてアトピーは人生のハンデだと思います。 でも、人間は大なり小なりハンデを抱えているもの。 これは大人にならないと理解できないことです。
アトピーと向き合うのは並大抵のことではありません。 そして、本当の意味でアトピーと向き合うためにはアトピーで悩んだ、苦しんだ経験が必須なのではないかと思うのです。
人よりも早く人生の課題に向き合うイメージですね。
アトピーを認め、諦めるのではなくしっかりと向き合うこと。
これができるようになることこそ、最大&最強のアトピー対策だと思うのです。
とある方のコメントがこの記事を書くきっかけになりました
コメントをくださった方、ありがとうございます。
アトピーで苦しむのは本人だけではありません。
大切な家族がアトピーなら家族も苦しいです。
理解してあげられない苦しみがあります。
じぶんのアトピーが遺伝してしまうのではないかという悩み、苦しみもあります。
いまはアトピーじゃないけどずっとそうだとは限らない不安もあります。
アトピー自体に個人差があるうえに、人それぞれの環境は同じものなどありえませんから明確な解決策のない問題です。 しかも避けて通れない問題だから当たっていくしかありません。
ぼく自身、じぶんのアトピーとしっかり向き合えたのは30歳を過ぎてからです。
この記事に書いた通り、今では恨みなどまったくありませんが、子供の頃はやるせない気持ちをコントロールできず当たり散らしたこともありました。
当たり散らしたじぶんに自己嫌悪したストレスでアトピーが悪化することもありました。(お手本のような悪循環ですね)
アトピーがコントロールできるようになって。 考えるのは親・兄弟の苦しみです。
(じぶんで言うのは恥ずかしいですが)ぼくがアトピーで苦しむさまを見て親の立場、兄弟の立場で苦しくない、悩まない筈がありません。 代わってあげれたら!と思うことすらあると思います。
もし人生をやり直せるなら、周囲にこういう心配をさせないようにしたいと思うくらいです。
それでも、子供の頃の、メンタルが幼いころのアトピーは本当にキツイので現実的とは思えず。
であれば。せめて。あとで理解しあえるように。
きっかけになるように情報発信していくことに価値があるのではないかということで、具体的なアトピー改善の話ではありませんが記事にした次第であります。
どうもありがとうございました。